もうここ3年近く、旧東海道を自転車でこぐということをやっています。こちらは西は、桑名から京都まで、東は、宮(名古屋)から三島までは旧東海道に沿って自転車で走破しているのですが、三島~日本橋がまだ未達でして、今年中にはぜひ完走したいと思っています。
旧東海道の中で、宮(名古屋)~桑名の間は、七里の渡しといって船で渡った区間になっています。この区間に関して、実はまだ自転車で走行していませんでした。ですので今回は自転車東海道の番外編として、七里の渡しの脇街道である佐屋街道を辿って、宮~桑名まで自転車で行ってきました。
佐屋街道走行記
宮から桑名までの佐屋街道の概要です。
東海道の宮宿と桑名宿との間は七里の渡しを利用しなければならなかったが、天候次第で船が出ない日もあり、船が出ても安全とは言えない場合もあっ た。船酔いをする人や、犯罪に巻き込まれやすい女性や子供の旅人からも七里の渡しは敬遠され、七里の渡しの迂回路として盛んに利用されたのが、この佐屋街 道である。
宮から佐屋までは陸路。佐屋から桑名までは船に乗ります。この佐屋街道は明治天皇が京から江戸へ行く際やシーボルトも通ったということです。
<宮宿>
9:30
出発は宮の渡しからです。ここに自転車で来るのは京都へ向かった時、江戸へ向かった時(まだ途中ですが)に続いて3回目。すっかり川の合流地点となっていますが、昔はここから海が広がっていたのです。
9:35
熱田神宮前。熱田神宮から宮の渡しにかけてが実は直線で、船出を見守っていたのでしょう。熱田神宮は名古屋城から続く台地の端に立っていたということですね。
熱田神宮の脇を進み、金山~尾頭橋~烏森と古い商店街を抜けていくと岩塚宿。
<岩塚宿>
10:15
庄内川の手前にあるのが岩塚宿です。名古屋の郊外という風景でした。ここから渡しがあって庄内川を渡ります。
<万場宿>
10:25
庄内川を渡る万場の渡しがあった場所に常夜燈と解説がありました。
10:30
万場宿の本陣あたり。幹線道路からも外れて非常に旧街道らしい雰囲気でした。多少、昔からの建物も残っています。宿場の端には高札場跡と寺社があったりとこちらも雰囲気があります。
<神守宿>
万場宿から神守宿までは、地元の幹線道路という感じの道を進みます。
10:45
神守宿の手間にある七宝焼発症の地という道標。
七宝焼(しっぽうやき)とは金属工芸の一種で伝統工芸技法のひとつ。金、銀、銅、鉄などの金属製の下地の上に釉薬(ゆうやく:クリスタル、鉱物質の微粉末を水とフノリでペースト状にしたもの)を乗せたものを摂氏800度前後の高温で焼成することによって、融けた釉薬によるガラス様あるいはエナメル様の美しい彩色を施すもの。(ウィキべディア)
すみません。全然知りませんでした。ブローチやペンダントとした装飾品に使われ輸出もされていたそうです。
10:55
その七宝焼発症の地の道標の側にあるのが、神守一里塚。まだ立派に残っています。
11:00
神守一里塚からしばらくすると神守宿です。非常に落ち着いた雰囲気の宿場跡です。多少、古い建物も残されています。
神守宿のあと旧街道を進むとのどかな濃尾平野をすすみ、日光橋、埋田追分と続きます。
11:20
この埋田追分では、右に行くと津島神社、左に行くと佐屋宿と街道が分かれていた場所。道標と合わせて、津島神社の一の鳥居、常夜灯が残っています。
ここで津島神社について、ちょっと調べる。
津島神社は全国の天王社の総本山となっているらしい。この総本山ということに惹かれて、本来ならば、佐屋宿へ向かうところだか、折角なので津島神社を目指します。この津島神社についてはまたの機会に記事にしたいと思います。
自転車佐屋街道の途中、津島神社に寄り道。御朱印も。 - Life is a showtime
<佐屋宿>
埋田の追分で、津島神社に参拝後、一旦埋田の追分まで戻り佐屋宿を目指す。この追分から道は南向きになります。