恒例の『ローマ人の物語』です。
ハドリアヌス帝で最大の領土となったローマ帝国。ここで一旦、時間を進めるのをやめて、そのローマ帝国が行ったハードとソフト面の体制について考察したのが『すべての道はローマに通ず』です。
具体的にはハード面では、街道と水道について。ソフト面では教育と医療についてまとめられています。
これが非常に面白い!
街道と水道こそがローマが生んだ傑作
ローマより先の文明であったギリシャ人からみたローマ人の傑作としてあげられているのが「街道・上水道・下水道」でした。
まずは街道について。
ローマ人の大きな特徴が、寛容と同化というもの。敗者ですら寛容に扱い、同化することによって帝国をきづいてきました。その重要な要素が街道を引くということ。
壁ではなく街道
交流を生み出すことによる経済の結びつき、その先の同化政策とでもいうのでしょうか。また街道によって点が線に、そして複数の街道を通すことによって面として統治していきました。
この複数の選択肢を持つことを好んだのもローマ人の特徴のようです。
ちなみに環状線というものは敷設されていません。これは環状線が移動だけを目的とした(交流を目的としない)モータリゼーションの産物だからでしょう。
水道についても街道と同じくローマには複数の選択肢を持つことになります。 ローマといえば浴場ですが、これも水道の敷設があってこその産物です。そしてこの水道の整備こそがローマの医療政策につながります。
感染症の少なかったローマと医療政策
医聖ヒポクラテスは病気の治療よりも予防することの大切さを説いたが、ローマはこれを国家規模で成し遂げています。それを成し遂げたれたのは水道の整備ができていたからです。浴場と流れ続ける水道によって感染症を防ぐことができていました。
医療についてもうひとつあるのは、医療は「公」ではなく「私」として対応していくことが原則でした。前線基地には軍医が常駐する病院はあったものの、ローマには大病院はなく家庭医の延長で面倒をみていた。これはローマ人の死生感が反映されているのではないかという考察がある。
つまり、ジタバタしないということ。
キリスト教の概念がなかった時代には、地獄というものの認識がなかった。寿命がきたらみな天に召されるというのが庶民の認識であった。
またローマ人は墓を不浄なものと考えていなかった。埋葬方法も遺灰埋葬であり、墓はローマ街道沿いに並んでいたという。その墓標には死者からのメッセージが並ぶ。生と死が共生していた世の中だったという。
「公」と「私」についてとキリスト教
医療について「私」が担当していたとありましたが、教育についても「私」が担当していたのが古代ローマ時代でした。
現代社会において、医療と教育は「公」のものと考えられています。まぁそれが財政圧迫を生んでいるのですが…。
古代ローマ帝国をつくったカエサルが考えたのは、医師や教師に無条件でローマ市民権をあたえるというやり方でした。聖職という概念ではなく、医師や教師になるとトクですよという手段に訴えました。この現実主義!
この医療(福祉)と教育の「公」が進んだのはキリスト教の普及によってです。帝国が裕福だった時代には「私」だったものが、財政の圧迫時に「公」に切り替えるとどうなるかは火を見るよりも明らかです。結果、古代ローマ帝国は滅ぶということになります。
本書ではこう書かれています。
あるひとつの考えで社会は統一されるべきと考える人々が権力を手中にするや考え実行するのは、教育と福祉を自分たちの考えに沿って組織し直すことである。
なるほどね。
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