ローマ人の物語シリーズです。いよいよ衰退期に入ります。やはり衰退期というのは読むのにエネルギーがいりますね。
マルクス・アウレリウス~コモドゥス~内乱~セヴェルス
五賢帝の最後のひとり、マルクス・アウレリウス時代から本書はスタートします。五賢帝でもあるにもかかわらず、なぜ「終わりの始まり」なのか。
著者的には、五賢帝時代に帝国の礎がしっかりしすぎていたため(特にハドリアヌスが防衛線をしっかり整備した)に、緊急時の対応が鈍っていたというのが持論です。実際本書のスタートであるマルクス・アウレリウス時代には、北方の蛮族の侵入が多々起こり始めます。
哲学を愛する皇帝マルクス・アウレリウスは、苦手であった戦場へ赴き、その撃退にあたります。このあたりが賢帝と言われる所以なのでしょう。
マルクス・アウレリウスの後、皇帝についたのはその子であるコモドゥス。五賢帝で唯一血族がいたため皇帝に就任します。
ここで著者の考察として面白かったのは、他の4人の皇帝は血族がいなかったので養子という形で継いだ。ただマルクス・アウレリウスには血族がいた。もしコモドゥスが継がないと、コモドゥスを担ぐことによって内乱が引き起こされていただろうという予想がされていました。
これにはなるほど!と思ってしまいます。日本でいうと織田家の話もありましたね。
コモデゥスが暗殺された後は、やはり内乱となりますが、そこで勝ち残ったのがセヴェルス。軍人皇帝で、ここから軍人皇帝が続くことになります。ただ内乱を制しただけあって軍事面に明るく防衛線は守られ、東方では宿敵パルティアを叩いたりします(叩きすぎたことがのちのペルシアの勃興を引き起こす結果につながったとも著者は書いていますが…)ただ軍人を優遇することで財政が圧迫するなどの問題も引き起こしていました。
コモデゥスは混乱期に必要な「強い皇帝」でした。しかしその重しが取れたあとはやはり混迷を極めていく種をまいたともいえます。そんな時代のお話しでした。
塩野七生 語録!
恒例の塩野七生語録です。本書でもたくさん出てきました。
「頭」と「手足」がともに想いを共有している組織は健全であり、ゆえに強い
現代の組織論にも通じますね。
皇帝ルキウスが褒めらてよいのは、自分で兵を率いるのは嫌だが、兵を率いて前線で戦う将軍たちの戦略戦術に口を差しはさまなかったところである
これまた組織論。指示は出すが、方法を示さないというのがトップのやり方の鉄則。
危機は人々の心の中に愛国心を呼び起こす。
まるで今の日本ではないかと思ってしまうのは僕だけではないはず。
自分自身の欠陥を認めるやそれを補う努力を惜しまなかったところもまたマルクス・アウレリウスが賢帝とされる由縁である。
自分の上に立つ人として尊敬できるポイントなのでしょうね。
賢母と良妻は必ずしも一致しない。
女ならだれでも知っているそうです。
危機に直面したときに講ずる打開策は、その程度に応じて優先順位を決め、その順に実施していくのが最も安全で確実なやり方である。優先順位が決められない場合は、同時並行で進めざるおえない。その場合は実施の速度と実施する際に迷わないこと。
これまた現代に通じる意思決定論のような話ですね。
「ミリタリー」は戦争のプロなので、始めた以上は最後まで行く戦いでないともともとからしてはじめない。「シビリアン」の方が、世論におされて戦争を初めてしまったり世論の批判に抗しきれず中途半端で終戦してしあう。
後を引くという戦争のもつ最大の悪への理解がシビリアンの多くは充分ではない。
戦争についての考察。この考え方に妙に納得。「勝てる試合しかしない」「後に引くことがよくない」という考え方は重要ですよね。必ずしもシビリアンが正しいわけではない一面をしめています。
人間とは崇高な動機によって行動することもあれば、不純な動機によって行動にかられることもある生き物である。
人間の本質の一面ですね。
人間、「ルビコン」を渡った以上は突っ走るしかない。
ケンカの仕方。この名言、好きです。
善意が必ずしも良き結果につながらない。
社会の宿命の一面。
死ねば誰でも同じだが、死ぬまでは同じではない。
なんと哲学的な名言でしょう。
こうしてみると現在のビジネスでも通用する名言や人間の普遍についての言葉が多いことに気づかされます。
「人生の大事なことは大体ローマ人に教えてもらった」なんてこともいえるぐらい人間の縮図が歴史には詰まっています。
だから歴史は面白いんですね。大人が好きなのも納得できます。