長かった ローマ人の物語もついに終わりです。
『ローマ人の物語』ではローマ帝国の崩壊は、地中海が内海ではなくなり、人々を隔てる海になった時をもって終わりとされています。そのあとだらだらと続く東ローマ帝国はもはやローマ帝国ではないというスタンスです。
それは著者が、ローマ人を地中海の民として定義しているところによるのでしょうね。
ただそれの劇的な瞬間はカルタゴの陥落のようなものではなく、「誰も気づかないうちに滅びたのであった」とされています。ローマ帝国が、アテネのような都市国家ではなく、ローマ人とはローマン スピリットがなくなった時点をもって滅亡ということにしているからでしょう。要するにモノではなくココロの変化としているところが面白いです。
本書を通じて感じたのはローマ人のココロとは、さまざまありましたが一番は、「寛容」ということであったと思います。敵ですら受け入れ、同化していく。
それがキリスト教の普及によって、一神教であることに由縁する、他者排除の考え方に傾いていく。それがローマ人がローマ人でなくなっていくことにつながっているということが繰り返し書かれていました。
こうした考えは、古代ローマと同じく八百万の神がいる日本人である著者だからこそ導き出せる見解だったと思います。
一国の歴史も一人の人間の生涯に似ている、と著者は最後に書いています。ということは、
「寛容」のスピリットが平和をもたらす。それは国家でも個人でも同じである。
それがわかった「ローマ人の物語」でした。
塩野七生語録
恒例の著者の名言です。
外交交渉には、相手側との間に妥協点を探る柔軟性も必要だが引けない一線となれば絶対に引かない毅然とした態度も不可欠だ。
「最後のローマ人」といわれたスティリコのペルシアに対しての外交術。
嫉妬とは、自分よりも優越している者に対して憎しみの心をいだくこと
コンスタンティノープルの皇宮での官僚がスティリコに対してみる目について。
何もかも自分たちだけで一人占めするのは、支配の政略として最も下手いやり方である。
カルタゴの繁栄を温存させたローマ人の統治はそれをわかっていたということ。
人間の運・不運は、その人自身の才能よりもその人がどのような時代に生きたかの方が関係してくるのではないか
スティリコの後半の人生について述べた個所で。歴史に”もし”はないだけにこの時代に翻弄された「最後のローマ人」像がそこにありました。
「共同体」と「個人」の利害が合致しなくなることも末期症状の一つであろうか
国内外で「安全」であることで「平和」が国家が保証してくれた時代から自分自身でそれをしなくなっていった場合、「共同体」が崩壊の方向にむかっていくことは必然ということでしょうか。これをみて日本の社会保障を個人に求める動きを思い出したのは僕だけでしょうか。
人間とはしばしば見たくないと思っている現実を突きつけてくる人を突きつけたというだけで憎むようになる
スティリコへの元老院からの視線。本来ならば「罪を憎んで、人を憎まず」なのでしょうが、そうはいかないのが人間の本質ですね。
互いに本音は出さずに建前だけで相対する人間関係は問題は収拾できてもしこりを残さずにはすまない。
根本的な解決には本音が必要ということでしょうか。
人間には絶対に譲れない一線というものがある。それは各自各様なものであるために客観性はなく、ゆえに法律で律することもできなければ宗教で教えることもできない。一人一人が自分にとって良しとする生き方であって、万人共通の真理を探究する哲学でもない。(中略)他の人々から見れば重要ではなくても自分にとって他の何ものよりも重要であるのは、それに手を染めようものなら自分では、なくなってしまうからであった。
スティリコの死について述べた箇所から。
もしかしたら人間の違いは、資質よりもスタイル、つまり「生きていくうえでの姿勢」にあるのではないかと思う(中略)それが人の魅力になるのかと。
同じくスティリコの死から。カエサルの例も出ているが、カエサルは暗殺の前から自分の命が狙われているのを知っているのにも関わらず、自分の生き方を通した。そしてそれが彼に惹きつけられる部分の本質だったともいえる。
自分で経験したことにしか考えが及ばないようでは官僚はやれても政治家はやれない。
そしてそれはローマ人の本質のひとつ「把握し理解する」ということにつながる。そのための情報は複数あるということの手段の話にもつながる。
大事を成すには情熱的でエネルギッシュであるだけでは不十分で、そのうえさらに冷徹さが求められる。だが情熱的でエネルギッシュであることとクールであることは、多くの場合両立しない。
北アフリカを押さえていたボニファティウスについて。
何もかもを自分たちでしようとはしなかったのもローマ人の伝統的やり方であった。
今では想像しにくい当時の北アフリカの繁栄は、現存していたシステムの温存によるもの。
支配者がどの人種や民族に変わろうとも勝者と敗者の同化だけは起こりえない世界になることだけは確かであった。
ヴァンダル族による北アフリカ統治について。カルタゴは滅亡した後のローマの同化政策による繁栄を謳歌した。しかし蛮族による統治ではそうはいかない。それはローマ社会の崩壊といえる。
小心者だらかこそ、かえってキレやすい。
右腕だったアエティウスを刺した皇帝ヴァレンティニアヌスについて。時代を経ても人間の小さい人は虚勢をはるということは変わりません。
マキャヴェリはリーダーにはライオンの資質とキツネの資質の双方が必要だと説く
先にあげた、情熱的な部分とクールな部分を併せ持つ人こそが指導者であるということですよね。
為政者に必要な資質は「苦」を「楽」と言いくるめることではなく、「苦」は苦でもよろこんでそれをする気持ちにさせることである。
それは人の心に働きかけるということでしょうか。
疑問をいだくよりも服従することを人間の「徳」と考える時代に決定的に入ったことであった
「アカデミア」の廃止と「修道院」の設立が同時期だったことについて。科学よりも宗教が優先される時代になってしまったということ。これが再びかわるのは1000年後のルネッサンスまで待たねばならない。
戦争は弁解の余地もない「悪」である。その「悪」に手を染めねばならなくなった軍事関係者が頭に叩き込んでおかねばならないことの第一は早く終えるに尽きるのであった。
最小の被害に抑えるためには、時間の概念が重要。
長命を保った国家は必ず安定成長期を持っている
ローマやヴェネチアが1000年を超える繁栄をもったのはこの安定成長期があったから。人と国家がにているとすると、この安定期こそが重要ということはやはり30~50代が重要ということでしょうか。
多くの哲学的な文言が多く出てくる「ローマ人の物語」。社会哲学や人生哲学、リーダー論など現代社会の縮図がそこにありました。
人生で大切なことは「ローマ人の物語」が教えてくれた
なんてことが言えるぐらい多くの英知が詰まった大作です。すべての政治家やリーダーになる人は読んだ方がいいといえる作品です。まだの方はぜひ!