ぼちぼち読み進めている「ローマ人の物語」。カエサルが創造し、アウグストゥスが作り上げたローマ帝国。建国の父として神にまで祭り上げられたアウグストゥスの後を継いだ4人の皇帝たちの時代が今回の舞台です。
それぞれの皇帝の悪名について考える
よくできた帝政は、ネロの自死の後もこのまま続きます。
塩野七海の名言を集めてみた
このローマ人の物語において、他の歴史書と違うのは、随所に著者の考えや名言が登場することです。本書でも数々の名言が出てきたので、メモしておきます。
ローマ人は敗者をただ単に許したのではなく、「敗者でさえも自分たちと同化した」のである。(中略)その後のいかなる覇権国家も、敗者は切り捨てられて終わりだったのだから。
ローマ人社会の根底である敗者同化の考え方です。日本もアメリカの敗者同化政策だったのかもという邪推もなくはないです。
ローマ人がはじめて、街道をつくったのではない。しかし、街道は一本ではなく街道網として構成すれば、その機能もより高まることを考え実行したのはローマ人である。ローマ人がはじめて、法律をつくったのでもなかった。だが、法律も、多岐にわたる法律体系にしてこそ法治国家として機能しうると考え、それを実行した最初の民族はローマ人である。そしてこの二事に共通しているのは、必要に応じて、”メンテナンス”をほどこさないと機能の低下は避けられないという、人間世界の現実であった。
物事は作っただけでダメ。それを有機的に結び付ける必要があり、メンテナンスをしないと効果は無くなっていくということ。現代社会でも共通の名言。
歴史に関心をもつことは、自分もふくめた個々の人間の独創力に全面的な信を置かないことでもあるからだ。言い換えれば、「歴史は自分が創る」とは思わず、「歴史は人間たちが創る」と思う立場である。
歴史に学ぶ皇帝クラウディウスの紹介で。クラウディウスが賢帝であったのは歴史に学んだから。過去の事例を学ぶことの重要性が説かれます。
皇帝の責務としての寛容の重要さを説いたもので、私の考えでは寛容でありつづけるには絶対の必要条件である冷徹については、一言も触れていない。
上に立つ者は寛容と冷徹さが必要条件。この寛容と冷徹のバランスを取ってこそ良い指導者ということでしょう。
「同情とは、現に眼の前にある結果に対しての精神的対応であって、その結果を生んだ要因にまでは心が向かない。これに反して寛容は、それを産んだ要因にまで心を向けての精神的対応であるところから、知性とも完璧に共存できるのである」
ネロの指導役「セネカ」の言葉。「寛容」について言及しています。
教育の成果とは、教える側の資質よりも教わる側の資質に左右されるものである。
そのセネカに対して、ネロの素質に対して言及しています。
人間とはやっかいな存在で、親近感と敬意は、彼らの心中では両立しがたい存在であることを知らなかったのだ。そして、皇帝の仕事は、敬意を払われないと進めて行けないということも知らなかったのである。
これは社長業も同じでしょう。敬意を集めないと事業を円滑遂行できません。自分は敬意を集めていると勘違いする指導者が多いこと…。
歴史を読み解くことは本当に楽しいです。
悪名高き皇帝が続いても、帝国は滅びず続きます。