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靖国神社に参拝してきて考えること。

何かとニュースになることが多い靖国神社。特に思想的に右寄りということではないのですが、今回、たまたま仕事がこの近所であったので参拝をしてきました。

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なんとも立派な大鳥居と参道。都心でこれだけの場所があるというのがすごい。

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こちらが拝殿。平日の昼にも関わらずまぁまぁな人出でした。やはり御霊にお参りということでしょうか。

神社ですので、ちゃんと御朱印もあります。

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靖国神社 建立の由来

ニュースになるのが、第二次世界大戦での永久戦犯も含めて祀られているということで、右寄りな人が行くところという印象が強い靖国神社。実際、僕も以前はそういう印象でした。

しかし靖国神社の起源は明治2年になります。明治維新の過程で亡くなられた人への鎮魂の意味で建立されたことに始まります。

その後、戊辰戦争西南戦争日清戦争日露戦争満州事変第二次世界大戦などの戦争で亡くなられた人を合わせて祀られるようになります。ですので、坂本龍馬吉田松陰などの明治維新の英雄ら、また第二次世界大戦当時日本であった朝鮮人・台湾人も含めて祀られているということです。

こうしてみると、右の人も左の人もこうした建立の意図を都合のいいようにくみ取り利用しているようにも思えます。右の人は「国のために命を落としたすべての人(永久戦犯はともかく)のために参るには当然」となりますし、左の人は「永久戦犯に参るのはけしからん」という訳です。

永久戦犯を別祀すれば話は早いのでしょうが、その話はすすみそうにありません。そもそも神事に関して表立って圧力をかけるのもどうかと思いますし。

大事なことはこうした事実の上で、それぞれの言い分を聞くこと。

 

ちなみに参拝を終えたのは、午後3時をまわったころ。近所の小学生たちが参道をてくてく歩いて帰宅に路についていました。それはそれは思惑が交差しない純な光景でした。

ただひとつ願うとすれば、この子達が大きくなったころ、平和でありますように、ということです。