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GRAPEVINE×TRICERATOPS@ZEPP NAGOYA~アルバム再現ライブについて考えてみた

「IN A LIFETIME 2016 presents GRAPEVINE×TRICERATOPS」と題されたそれぞれのファーストアルバム再現ライブに行ってきました。それぞれのファースト・アルバム『退屈の花』『TRICERATOPS』を曲順にそって演奏するというものでした。

 

先行がGRAPEVINE。2曲目の「君を待つ間」とかやはりいいですよね。


GRAPEVINE - 君を待つ間

MCもほとんどなくストイックなライブでした。

 

対して、後攻のTRICERATOPSは、和田唱のMCがさく裂するPOPなライブでした。特に「Raspberry」とか「ロケットに乗って」とかを聞けたのはうれしかったです。


TRICERATOPS 『Raspberry』


TRICERATOPS 『ロケットに乗って』

 

アルバム再現ライブについて考えてみた

アルバム再現ライブというものを観たのは今回が初めてではありません。「くるり」のTEAM ROCK(名盤!)の再現ライブも観に行きました。

このときも感じたのですが、アルバム再現ライブは「諸刃の剣」ではないかということ。

ポジティブにとらえると昔のファンをもう一度取り戻そうとするその試み。一方で、来ているお客さんもミュージシャンと同じように年を取ってきた人に向けてのライブとなります。つまり新規若年層に向けての演出にはなりにくい。

新規ファンの開拓ができないということは、どうやったって初期のブレイクを超えることはできません。かといってフェスに出ても、存在感は示すことはできるかもしれませんが、どれだけ若年層を取り込むことができるかは疑問が残ります。

 

この考えの根本は、日本の音楽産業が「音楽は若者が作る」という前提で動いていることに由来します。青春時代に聞いた音楽ほど人生において鮮明に残るものはありません。一方経済的に考えると若者重視の考え方の根本は、「若者はパッケージを買う」ということに由来します。「若者が大きなマーケットを作っていた」ともいえます。

しかし若者人口の減少やパッケージ販売の減少によってこの考えは岐路にきているでしょう。

音楽産業はすでにパッケージからライブ(特にグッズ)で収益を上げるに形態に変化しているといわれます。ライブ動員があるアーティストしか残らなくなっていくのでしょう。

音楽がパッケージからライブを中心に変わったことで、音楽はパーソナルのものからみんなで聴くものに変わったともいえます。ライブは生ものです。人は流されやすいですから、少しでも陰りが見えるとグレーゾーンは離れていきます(流行に乗っていたいだけの人は特に)。

 

話をアルバム再現ライブについて戻します。

アルバム再現ライブとは実は音楽がパッケージ産業だったときの賜物だったと思います。アルバムが数十万枚売れたから成り立つライブステージです。こういうアルバム再現ライブができるアーティストとは90年代~2000年代初期までのアーティストでそれ以降のアーティストは厳しいと思われます。

例えば10年後やろうにもアルバム自体を持っていない…。やれてベスト盤ライブでしょうが、これはキャリアのあるアーティストであればもうすでにやっていることです。

 

自分たちと同じ世代のファンとともに年をとっていくというのは宿命なのでしょうか…。