『ローマ人の物語』もかなり終盤戦です。
今回はタイトルにもあるとおり宗教的なお話しが多いです。つまりローマ国教としてキリスト教が認められる時代のお話しです。
皇帝でいうと大帝コンスタンティヌスの息子、コンスタンティウスからユリアヌス、テオドシウスにかけての時代になります。
なおローマ人の物語だと基本的に皇帝ごとに分かれた章立てをしているのですが、テオドシウスの代わりにミラノ司教アンブロシウスで章がとられています。
そう、このアンブロシウスこそがキリスト教を国教にした裏の主役となっています。古代と中世の大きな違いはキリスト教が政治にかかわるかですが、そういう意味では本章はその境目を描いています。
著者によると時代の転換点では、人は
- 流れに乗るか
- 流れに逆らうか
- 流れから身を引くか
の3つのパターンに分かれると書かれています。
キリスト教が国教となる歴史的転換点において、上記の皇帝の中でユリアヌスだけが流れに逆らった皇帝でした。著者もですが、僕自身もユリアヌスに共感を持ってしまいます。彼は一神教の危険性を感じていた人だったのではないか。
彼の統治は2年に満たなかったですが、これが20年の統治であれば、その後に歴史は変わっていたかもしれません。多神教が当たり前の世界が続いていたら、世の宗教問題の多くはここまで大きくなっていなかったでしょう。
本当に宗教とは、ということについて考えさせられます。
塩野七生語録
恒例の著者の語録です。
組織体ともなれば協力者なしでは成り立っていかない。どうすれば良き協力者が得られるか
①一度は失敗に終わってももう一度機会を与える。(本人の資質を見極め、それに沿った機会を与える )
②失敗すればそれで終わり
コンスタンティウスの協力者の得方について述べたところで。コンスタンティウスは①だった。
異質の要素でも組み入れて活用するのはリーダーの才能の一つ
古き良きローマの持つ寛容ということはここでもあらわれています。
ギリシャ・ローマ時代の「異端」は「熟考した末に選択した説」であって「正統な解釈から外れた説」ではなかった。それが一神教が支配するにつれ選択は姿を消し、正しいか誤りでしかなくなった。
「選択」ならば共生は可能だし、道理さえ認めれば相手に歩み寄ることも可能だ。しかし誤りの意味の「異端」となっては共生も歩み寄りも不可能となる。
残るは自分が排斥されない前に相手を排斥するしかなくなってしまった。
「寛容」から「排斥」へ。一神教ということはこうした考えにつながります。現代社会でも宗教問題の多くは、これにあたりますよね。
損失を早期に埋めることができた方が勝つという理論は敵地(補充システムが機能しない)で戦う場合通用しにくい。
アレクサンダー大王もカエサルもアフリカヌスも短期決戦にしたのはこういう事情からであり、自分の弱点を知っていた。
世間には、他人の業績を半分褒め、半分けなすことをモットーにしているのではないかと思う人がいる。この種の人は、この奇妙なバランスをとることで責任を回避しているのだ。言い換えれば勇気のない人である。
コンスタンティウスについて述べたこと。
現代社会の人間関係にも大きく当てはまります。耳が痛いです。
人間とは社会的な動物である。他者に必要とされているという自覚は非常な喜びを感じさせる。
できないと思い込んでいたことさえもできる、という自覚ほど若者に喜びをもたらし自信を与えることもない。
ユリアヌスの飛躍について。本当にこれです。若者には魔法がかかるときがあるのですよね。。。
「寛容」とは自分とは違った考えを持つ人でも認め受け入れるということ
寛容であること。それは素晴らしいと思わざるえません。
人災でも天災でもその不幸を乗り越えての再建は、実際上はそこに住む人の意志と資力によるものである。
東日本大震災をみてもそれを再認識します。人の住むエリアは再建があるが、立ち入り禁止地域は再建されません。
また地震から再建できるのも日本がまだ豊かだから。
哲学の神髄は知識ではなく思索である。
思索とは、体操が筋肉の鍛錬であるのと同じで頭脳の鍛錬である。言い換えれば思いめぐらせる作業に頭脳を慣れさせるということだ。
実際、哲学者ターレスは投機で成功したことがあるという。なるほど自分の頭で考えることが大事ということですね。
選択肢を一つしか持たないやり方は危険な賭けと同じである。選択肢は常に複数持つ必要がある。
古代ローマが強かったのはこの複数の選択肢をもつことが徹底されていたからともいえます。
戦争中の国や敗北した国の選手を排斥する近代オリンピックを古代オリンピック競技会の継承者とは認めていない。
393年のオリンピアの競技大会の廃止を受けての著者の意見。古代オリンピックには「寛容」の精神があったということですね。