なんと2014年に書かれた一〇年代のカルチャー論。
本書では「残念」というキーワードだけで、若者文化を括ってしまうという大技になっています。
「残念」とは、本来の意味からはなれ、イケメンだけどオタク、美少女だけど内気、というギャップがありつつ、そこがより愛くるしくなるという意味で使われ始めたのが十年代特徴ということ。
そのちょっと人のイメージと違う部分のことを、肯定する意味を込めて「残念」と使われ始めている。思うにこれは人のコンプレックスの部分を含めて、愛すべき時代になっ来ているともいえます。
コンプレックスを個性ととらえる時代。実はゆとり教育による影響なのかもしれません。ちなみに、このコンプレックス肯定論は、これが大人への一歩であるというものであるというのが僕の持論。
欠点もふくめて、それがあなただよと受け入れる姿勢。赤塚不二夫の「それでいいのだ」理論は、時代を超えて今受け入れられているともいえます。
昨今のタモリブームも実はこうした時代の流れ、寛容の流れに乗ったものなのかもしれません。
しかし2020年に入り、コロナの自粛警察の様をみていると、時代は寛容の時代から分断の時代になっているような気もします。実は2010年代はリーマンショック以降の経済拡大期だったから、こうした寛容の時代が形成されてのかもしれません。時代の雰囲気も実は経済から出てくるのかも。そんなことを思うお盆の1冊でした。