ギリシア人の物語の最終章になります。今回は、のちに大王と呼ばれることになるアレクサンダーについてがメインになります。
アテネの崩壊のあとに覇権をとったのがスパルタ、しかしもともと覇権国というよりも孤立主義であるスパルタは、中規模の都市国家であるテーベに敗れる。しかしテーベも所詮は、覇権国に収まる器ではなく、ギリシアからまとめる人が誰もいなくなったという状態になります。
そこに現れたのがアレクサンドロスの父、辺境マケドニアの王、フィリッポス。軍制改革(ハリネズミ式の重層歩兵)、経済改革(農業・通貨・鉱山など)を行い、オリンポスを統合。
その父が暗殺され、その後についたのがアレクサンドロス。若干二十歳。父からはスパルタ式に肉体的を、ソクラテスから精神を学ばさせられて育てられた。この留学時に知り合った学友らがのちの東征を一緒に行う。
初陣は18歳。マケドニア対アテネ・テーベ軍。ここでアレクサンドロスは、騎馬隊をつれてちょっとした隙をついて、会心の一撃を与える(父からは動くなと言われていたにもかかわらず)。おそらく戦の天才である彼は、その勝利のタイミングをみると動かずにはいられなかったのでしょう。
この戦の天才ぶりは、その後もいかされ、生涯負けなしとなる。
アレクサンドロスの東征については、マジでスゲーとしか言いようがない。戦はもちろんだが、じつはロジスティクスも考えており、本国からどう兵士を補給するかを考えて攻めている。
今でいうトルコ領を制圧→イスラエルあたりを制圧(これで海上輸送が使える)→エジプト→メソポタニア→ペルシャ→パキスタンあたりまで制圧する。
あとアレクサンドロスの統治方法は、敗者同化と民族融和をしようと試みている。つまり現地住民を使って統治する。人材として限界があるので、このやり方しかなかったのだろうけど、この敗者同化政策はのちのローマ帝国の統治方法にも通じます。後半、ペルシャでは大規模な共同結婚式なんかもやっています。
21歳で始まった東征は、32歳に終わる。アレクサンドロスは、アラビア半島からカルタゴに向かう征西を準備しているさなかだった。おそらく死因はマラリアだったという。
アレクサンドロスが一番大事にしていたのはスピード。
わずか10年足らずで、ギリシアからインダス川までの巨大な帝国を作ってしまった。それは好奇心と冒険心あふれる若者だからできたのでしょう。
のちの名将カエサルやスキピオ、ハンニバルがアレクサンドロスについてしゃべると「彼は若かったからね」と言っているでしょうということが書かれていました。カエサルがガリア制圧をしたのが40歳を超えていたので、いかに早熟の天才で成し遂げたかがわかります。
また最高潮で死んだので伝説になったとも言えますね。
さてこれで『ギリシア人の物語』を読了しました。
著者の最後の歴史再構築エッセイ?とあとがきに書かれています。この人、マジで面白いので、もっと読んでいたいのですが……。