Life is a showtime

やりたい事とか日記とかをつれづれなるままに……

(読書)1998年の宇多田ヒカル/宇野維正 世代として楽しめる1冊でした!

CDが最盛期だった1998年。この年のデビューだった、宇多田ヒカル椎名林檎aiko浜崎あゆみという4つの視点から音楽シーンをみるという試みの1冊。

 80年代の洋楽シーンにマイケルジャクソンとプリンスとジョージマイケルがいたように、日本のお笑い界において、たけしとさんまとタモリがいたように、同じジャンルにその後の人たちに影響の与えるアーティストが重なるときがある。

 

本書は4人のアーティストについてそれぞれが意図する、しないに関わらず担ってきたことについて書かれている。

ただあくまでも本書の中心は宇多田ヒカルである。これは日本CD史上塗り替えられることのないセールスを記録したアーティストへの敬意も含めてでしょう。

 

圧倒的セールスを記録した宇多田ヒカル。その特徴を一言でいうと、宇多田ヒカルは生まれながらのスタジオミュージシャンということである。それゆえパッケージ文化の全盛だった98年に記録的大ヒットとなる。ライブやテレビの露出は圧倒的にすくなく、当初はラジオ、そして個人ホームページからの発信でファンとつながることの先鞭をつけた。

 

その宇多田ヒカルのレーベルメイトで交流もある椎名林檎。ロックのイメージが強いが、実はPOPS職人の要素が強く、宇多田ヒカルが去ったあと一人でJ-POPシーンを担う自負もある。それは日本の音楽シーンで自分が何ができるかということを考えているからかという。

 

上の2者と一線を画すのがaiko。才能はあるもののほろ苦いデビューだったaiko。ただ2作目から彼女自身が本来持つ才能が発揮される。そしてそのころに出来上がった、サウンド、音楽への向き合い方、ファンとの接し方もジャケットワークまで基本的には変化していない(進化はしている)。

そしてメディアや関係者に向けての顔がなく、あくまでファンへ向けた顔に細心の注意を払っている。それは自分がファンからどういう風なことが求められているかを考えているということでもあると思う。

 

そして宇多田ヒカルとセールスにおいて双璧をなした浜崎あゆみ。セールスで比べられるという点よりも、実はスターのスキャンダラスな部分を請け負っていた部分も大きいのではないかというのが著者の持論。

マイケルジャクソンの陰と陽のように。浜崎あゆみがいたからこその宇多田ヒカルの陽の部分が輝くのではないか。

 

この4人の比較を通して、著者のまとめが秀逸でした。

ファンとの向き合い方(インターネットを通してファンへ語り掛けるということをはじめた)を変えた宇多田ヒカル。パッケージ産業の最後の輝きだった宇多田ヒカル。その彼女が、充電期間ということで活動を休止。

その間にパッケージ産業は衰退し、音楽産業の中心はパッケージからフェスと興行へと移った。稼ぎ方もマーチャンダイジングへシフトした。ただ音楽業界は彼女さえ帰ってきたら…と少し希望を残していたのではないか。

そして2016年に宇多田ヒカルが帰ってくる。それは一つの歴史の終わりを観るのではないかということで締めくくられていた。

 

結果としてアルバム「Fantome」は初動が25万枚で1位。その後セールスはのび、CDが78万枚、デジタルが22万枚をセールスし、ミリオンセラーになった。

一つの希望は残ったのか。

 

ただ時代は流れている。それは止められないと思う。

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

 

 

酒場放浪記で登場の『グリルチェンバー』(奈良)に行ってきた!

奈良での散策の後に立ち寄ったのが、近鉄奈良駅から地下通路でつながる雑居ビルの地下にあるお店「グリルチェンバー」というお店。店の前にある「吉田類 酒場放浪記」の写真にひかれて入りました。

 f:id:mailto1979:20170207090743j:image

スナック店風の店内をマスター1人が切り盛りしています。ビールよりもハイボールが似合うお店です。

 f:id:mailto1979:20170207090747j:image

オーナーによる自家製野菜のサラダや旬の食材のつまみがおいしいです。

こちらのお店が二軒目だったということもあり、〆の御飯ものを注文。こちらがその名物の『チェンバーライス』!

 f:id:mailto1979:20170207090754j:image

これがガーリック風味で濃い目の味付けでB級グルメ感をだしており、酒が進みます。

味のあるお店で楽しめました。近鉄まで地下道でつながっているので帰りも安心です。

 

www.bs-tbs.co.jp

奈良・春日大社の節分万灯籠に行ってきた! 年に2回の3000基の灯籠に火がともるその光景は幽玄。

f:id:mailto1979:20170206213526j:image

興福寺の後、東大寺(大仏殿は閉まっていた…)の後に向かったのが春日大社です。興福寺とともに藤原氏ゆかりの神社となります。全国に1000ある春日神社の総本山で、「古都奈良の文化財」として世界遺産登録されています。

f:id:mailto1979:20170206213610j:image

参拝をした日が節分ということで、節分万灯籠という特別な日にあたりました。3000基もの灯籠に灯がともります。参道に2000基の石灯籠、境内に1000基の釣灯籠があり、この灯籠の数は日本一といわれています。

 f:id:mailto1979:20170207090339j:image

こちらが南門。

夕方5時半からは境内にて舞楽奉納が行われていました。

f:id:mailto1979:20170207090408j:image

正直意味は良くわかりませんでしたが、ありがたいものなのでしょう…。

 

続いて、特別拝観です。入場までに20分ほど待ちます。

暗い回廊と明かりがともる釣灯籠。それはまさしく幽玄な光景です。

(人が多いのは仕方ありません…)

 f:id:mailto1979:20170207090442j:image

f:id:mailto1979:20170207090632j:image

f:id:mailto1979:20170207090507j:image

f:id:mailto1979:20170207090540j:image

 

個々の灯籠は個人や会社からの寄付も多く、こんなものもありました。

 f:id:mailto1979:20170207090647j:image

今回はたまたま節分に訪問でしたが、あとお盆にも灯籠に灯が入ります。こちらは中元万灯籠と呼ばれています。

春日大社の御朱印はこちら

 f:id:mailto1979:20170207090708j:image

なんとも力強い筆だこと。

境内も広く散策し甲斐のある神社でした。万灯籠とあわせてお詣りできて最高の思い出になりました。

 

世界遺産 春日大社 公式ホームページ

奈良・興福寺に行ってきた!御朱印も

関西出張ついでで奈良の興福寺に行ってきました。近鉄奈良駅からほど近くです。

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。(ウィキペディア

隣の春日大社とともに大和国の実質の国主として権威をふるっていたといいます。

こちらが世界遺産の碑です。

 f:id:mailto1979:20170204001548j:image

そしてこちらが五重塔と東金堂。ともに国宝になっています。

 f:id:mailto1979:20170204001621j:image

この日は節分ということもあり東金堂が無料開放されており薬師三尊を拝むことができました。

f:id:mailto1979:20170204001733j:image

また南円堂など随所に唐の様式を感じさせる作りになっています。

 

こちらが御朱印

 南円堂のそばにある社務所でいただける御朱印がこちら。

 f:id:mailto1979:20170204001800j:image

世界遺産の印入りというのがいいですね。

www.kohfukuji.com

『ゴッホとゴーギャン展』@愛知県美術館に行ってきた!

f:id:mailto1979:20170203093954j:image

愛知県美術館で行われている『ゴッホゴーギャン展』に行ってきました。ゴッホにしてもゴーギャンにしても単独での展覧会が行われるほどの人気画家です。一方、2人の交流を軸に企画された展覧会は初めてということです。

この2組の交流というのは、音楽でいうと対バンイベントのようなもの。美術界ではまだそれほど実例がなく、新鮮におもえます。

 

特に今回のゴッホゴーギャンは、アルルで共同生活を送るという近代美術史においても有名な仲だったということです。このアルルの共同生活の部分は本展のハイライトであり、エピソードとして非常に面白かったです。

ゴッホゴーギャンの共同生活について

1888年10月から12月にかけて、南フランスのアルルの「黄色い家」にて共同生活を送った二人。アーティスト同士ということで刺激があったのでしょう。次々に絵を書き上げていきます。

もともと「黄色い家」に住んでいたゴッホにとってこの2人の共同生活は楽しかったらしく、家の中の数々の想いでの品を絵にしています。

事件は12月23日に起こります。二人が口論の末、ゴーギャンが出て行った後、耳を切るという「ゴッホの耳切事件」です。ちなみにこの切り落とした耳を娼婦に届けています。(なんという奇行!)

 

その後、ゴーギャンはパリに出ていき、タヒチへ行ってしまいます。ゴッホはアルルを追い出されパリにいき、その後ピストルで自殺という運命をたどります。

ゴーギャンタヒチへ行ったあともアルルのことを懐かしむ様子を見せる絵をかいたりしています。

 

こうしてみると二人にとって(特にゴッホにとって)この共同生活が人生において少し希望がみえた時期だったといえます。一方その後に漂う哀愁。

 

人生を感じる展覧会でした。

 

おススメです!

 

www.g-g2016.com

(読書)職業としての小説家/村上春樹

 村上春樹の新刊がでるというニュースが流れています。そんな著者自身が”小説を書くということ”自体をテーマにしたエッセイ集です。

読んでいてわかるのが、著者が「いかにもな」小説家らしい雰囲気ではないということ。

毎日、規則正しい生活をし、数時間机に向かうこと。そして1時間のジョギングをすること。

きっちりと丁寧に仕事をしているともいえます。

具体的な書き方についても、何度も書き直しや推敲をするスタイルをとっていることが書かれています。他の作家はどうかわかりませんが、村上作品が芸術品というよりも工芸品のように一定にクオリティを維持するのは、こうした作業があったからなのだと思います。

本文によると

小説を書くというのは(自分の)闇にもぐって小説の養分をとって帰ってくる必要がある。

と書かれています。そのためには健全な体がいると。

 

健全な精神は、健全な肉体に宿る

 

そんな言葉を思い出させてくれます。まるで職人のようです。

もう一つ彼のデビュー作『風の歌を聴け』のエピソードがなんとも小説的でした。小説を書こうと思ったのが、神宮球場の開幕戦を観ているときに先頭打者が2塁打を打ち、その時に、天からひらひらと落ちてきたのだと。

また群像新人賞をとることも、千駄ヶ谷を散歩していた時に鳩を助けその帰りにひかり輝くショーウィンドーをみて悟っただとか。

それは、

自分は何かしらの特別な力によって小説を書くチャンスを与えられた

と記されています。まるで小説的な話ですが、この「チャンスを与えられた」という部分がなんとも彼らしいです。

 

この本の中で、小説というものはリングに上がるのは簡単でもとどまり続けるのは難しいと書かれています。

彼はまるで職人のようなスタイルでそのチャンスを生かし、とどまり続けているということなのでしょう。

僕と村上春樹

僕が村上春樹作品を最初に読んだのは中学1年生でした。中学受験の時に塾の予備校の先生が、彼の作品がベストセラーになっていることを雑談で喋っていたのを覚えていたからです。というわけで最初に読んだ作品は『ノルウェイの森』でした。それは思春期の僕には(いろんな意味で)衝撃的過ぎました。これを小学生に紹介する塾の先生もどうかと思いますが…。

いづれにせよこの『ノルウェイの森』からはじまり、彼の作品を読み漁るようになります。そして、初期の村上作品に共通する、主人公の第三者的視線と喪失感が僕の人格形成に多少なりとも影響をあたえています。そして長らく『ノルウェイの森』の直子こそが理想の恋人像でもありました。しかし中高生当時にそんな人なんているわけもなく、悶々とした学生生活を送ることになりました…。

最近の小説は読んでいませんが、『海辺のカフカ』ぐらいまでは一通りよんでいました。著者の生き様も好きで、エッセイはパラパラとよんでいました。特に『遠い太鼓 』や『走ることについて語るときに僕の語ること 』は素晴らしいエッセイだと思います。

 

さて、幸か不幸か村上春樹作品に影響を受けた僕ですが、彼の言葉の中で一番の言葉は、

『死は生の対極としてではなく、その一部として存在している』

という『ノルウェイの森』の冒頭に出てくる文章でした。

 

思春期を抜けた僕にはその意味がわかるようになり、『死』ですら受け入れて『生きていかねばならない』。それが残された人の宿命であると。

彼の本を読むとそんなことを毎回思い出します。今年は村上イヤーです。久しぶりに本棚から彼の本を読んでみようかなぁ。

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 

(映画)ザ・コンサルタント@109シネマズ名古屋 これってアクション&サスペンス映画なのか?

f:id:mailto1979:20170127091549j:plain

 

★★★

 

実に不思議な映画でした。主人公が表の顔は会計士、裏の顔が殺し屋という設定。ポスターからもわかるようにあきらかにアクション&サスペンス映画ののりである。映画会社もそこをPRしている。

しかしポスターにはない主人公の大事な要素として「高機能自閉症」という要素がある。というよりもこの自閉症について考えていることこそのが、本作の本当の意味ではないのか。

アクション&サスペンスについてはただの包み紙であるともいえる。

 

高機能自閉症」という要素を打ち出すと観客が減るのではと映画会社が思っているのであれば、それこそが本映画で言いたかったことの逆を行く話ではないのかと思ってしまう。

 

自閉症というものは、劣っているのではなく、違っているだけだ。

そして、みんなと違うことが恐怖を与えているだけだ。

 

ということが本当は言いたかったのではないでしょうか。

自閉症という病気は人とコミュニケーションをとるのが難しい病気でもあります。ただそれは多かれ少なかれ誰でも持っている要素でもあります(好きな人に好きとは恥ずかしくてなかなか言い出せないとか)。

一方、もう一つ特徴として記憶力や集中力が異常に高い場合があります。これまた好きなことに熱中する要素は誰にでもあるものです。

つまり自閉症という要素は、多かれ少なかれ誰にでもあるのではないか。それがちょっと極端に出ているだけではないか。そんな風にもとらえることができます。

 

アクション映画としてもいくつか見どころもありますが、こうした伏線について考えさせられる映画でした。

 

wwws.warnerbros.co.jp