船場商人の家に生まれたということで、非常に親しみがあります。サントリーといえば今でこそビール、ウィスキーですが、その洋酒文化を切り開いた執念を感じることができます。
何をおいてもその行動力と好奇心に圧倒されます。
店を開く前に兄からもらった開店準備金を使って、ふと見た思い立って神戸から横浜、小樽へ行く船に乗り込む。そこで出会った洋酒(さらに人脈の作り方も半端ないです)。
葡萄合成酒から始まり、国産ウィスキーの開発。
葡萄合成酒「赤玉ポートワイン」の開発から全国シェアをとるまでの争いや、国産ウィスキーの開発の執念がすざまじかったです。国産ウィスキーの開発においては、周りが反対する中で、竹鶴政孝を雇い、山崎の地で開発を進めます。
ウィスキーは、熟成期間が必要でその間、1円も生まないという、銀行家からすると手を出してはいけない商品でした。それでも開発を続けた執念たるや……。
(それが今や世界五大ウィスキーとしてジャパニーズウィスキーが評価され、中国人が1本数千万円でも買っていくのですから)
また第二次世界大戦に負けた後、何よりも先に山崎の原酒を守る指示を出し、GHQに洋酒の販売を始めるあたりの商魂たくましさも感服です。
さらに本書ではビール事業の苦戦と撤退、そして信治郎の死後のモルツの躍進の話まで触れられています。このあたりも問屋問題があったことなど、へぇーと思うことが多々ありました。
関西のお酒というと、灘・伏見の清酒会社が時々出てきます。当時は清酒の時代だったんですよね……。
あと信治郎の息子が小林一三の娘と結婚していたりと関西財界の中枢にいたことがよくわかり、このあたりも関西出身としては面白かったです。