古代ギリシアの民主政はいかにして生れ、いかに有効活用され、機能したのか。
アテネとスパルタ。
そして襲ってきた強大なペルシア帝国が侵攻と団結。
大好き『ローマ人の物語』の塩野七生のギリシアの物語の1作目を読んでみました。
戦争ばかりやっていた都市国家たち。軍事のスパルタが強大化しているなかで、ソロン→クレイステネスの改革で民主制を取り入れたアテネ。
そんな中で襲ってきたペルシア戦役。
著者の描く戦争描写は『ローマ人の物語』でも感じたが本当に面白い。ペルシア戦役は2回ある。
アテネ軍の快勝で終わった1回目のから、10年後の2回目は、まず陸軍では、テルモピューレでの会戦(映画『スリーハンド』の舞台)で、スパルタ三百の戦士による死闘。そこが突破されたあとに行われたサラミスの海戦(主にアテネ海軍 vs ペルシア海軍(フェニキア海軍など))とプラタイヤの陸戦(主にスパルタ・アテネなどギリシア連合軍 vs ペルシア陸軍)と続く。
サラミスの海戦の英雄が、アテネのテミストクレス。プラタイヤの陸戦の英雄は、スパルタのバウサニアスとなります。
本書が面白いのがこの2人の英雄のその後が描かれていること。アテネのテミストクレス(おそらく著者は好きなタイプ)は、その創造力で、アテネと港のピレウスの一体化事業に着手する。この事業は、アテネが迷走の時代においても東地中海の一大通称センターの地位を守り抜きます。
この誰も考えつかないことやる創造性をおそらく著者は大好きであり、カエサルの時にはその愛が詰まって描写されています。テミストクレスに対しても同様な思いがあったような描写になります。
若き、スパルタの英雄バウサニアスというと、ビサンティオンを攻め、完全にペルシアの脅威を消しさります。(ちなみにビサンティオンはその後、アテネの支配下にはいります)
その後バウサニアスは、ペルシアと通じていたという証拠をあげられ(これは現代になって偽物と証明される)死罪。
一方、テミストクレスもアテネを追放されます。ギリシアからエーゲ海の島にわたり、マケドニアへ、さらにイオニア地方(今でいうトルコ)へ上陸する。そしてなんとペルシアと接触し、王に謁見。最後はペルシアの一地方を収める知事の職まで得ている。
それも善政を敷いていたという。逃避行中も、行く先々で人に助けられ(助けることす自体が喜びと評される)る、さらに敵国に潜り込むあたりは、天性の人間的魅力を持った人間なのでしょう。
歴史家ツキディデスは、テミストクレスを
「中でもとくに、必要となるや必ず発揮された天才的と言ってもよい独創性。(中略)その洞察力は鋭くかつ深く、一見しただけで状況を完璧に把握し、こうこつと言ってもよいぐらいのやり方で迷わずに実行に移すことによって、今現在のみでなく、将来的にも有効な解決策を講ずることができたのである」
と評しています。
この天才的と言ってもよい独創性という部分がカッコいいですね。
次は、アテネの繁栄と衰退ですね。