出張を利用しての東京滞在ですが、代官山の蔦屋書店に行ってきました。オープンからすでに5年がたっていますが、話のネタとして。
恵比寿から歩いて15分ほど。人生初代官山です。印象は昔から(もしくは由緒正しい)の「ザ・山の手」というところ。それは人が少なめで、低層階で公開空地を大きくとった商業施設が多いからではないでしょうか。都市計画法でおそらく決められているのでしょうね。
そんな「ザ・山の手」にキューブ状の建物が並んでいます。
これが「蔦屋書店」です。
キューブ同士をつなぐ渡り廊下の下の空間では、BMWの車両展示が行われていました。
さて建物の中ですが、こちらも正方形の区画に区切られており、それぞれで区画がテーマが設定されています。既存の書店が棚の列であるのに対し、蔦屋書店は部屋ごとでテーマを設定しているのが特徴といえます。これは武雄市図書館の収納方法と同じです。
もちろん書店部分以外には、パッケージソフトエリア(CD&DVD)やカフェ(スタバや高級ラウンジ)、さらには、旅行代理店、携帯、自転車、カメラなどのショップもあります。
確かに面白いお店の作り。整えられた雑多感(整えられていない雑多感としてはヴィレッジヴァンガードが代表)というところでしょうか。
昔、ユーミンが言っていた「私は広くオタクになりたい」という言葉を思い出させます。それが叶う場所ではないでしょうか。
ただ本屋部分には多くのお客さんが滞在していましたが、音楽や映画のレンタルコーナーはそれほどお客さんがいなかったのが印象的です。
個人的には魅力的で滞在していても面白い。ただどこかしら既視感があるんですよね…。これについて考えてみました。
代官山 蔦屋書店と清澄白河 BLUE BOTTOLE CAFFEを訪れて考えること
今回の東京滞在では清澄白河のBLUE BOTTOLE CAFFEと代官山 蔦屋書店を訪れました。
共通するのは、「絵になる」「そこにいる自分が好き」的な要素が多分にあるということ。
一方、相違点は、上手く言えませんが、清澄白河BLUE BOTTOLE CAFFEが個に重きを置くのに対し、代官山蔦屋書店はあくまで大量生産物のセレクトショップであるということ。
蔦屋書店はあくまでパッケージのもののキュレーターとしての側面が強いです。扱う商品はあくまでパッケージなのです。映画はブルーレイやDVD、音楽もCD、本に関しては多少パッケージという意識が薄い印象ですが、それは出版社の数が多いからではないでしょうか。このパッケージの組み合わせということが先の既視感の原因なのではないでしょうか。
扱う商品がパッケージということで、それでは他店との差別化ができないので、キュレーションの要素を入れたり、買い物以外で「滞在する場」という要素を加えることでお店の魅力アップに努めたのが蔦屋書店ではないでしょうか。
一方、BLUE BOTTOLE CAFFEは、商品点数を絞り(コーヒーとそれを盛り立てるフードのみ)「滞在させる」を目的としません。実際、固いハイスツールが20席ほどあるのみです。こちらBLUE BOTTOLE CAFFEはあくまでコーヒーという「商品」が主役なんだと思います。
※もちろん多店舗展開をするにつれこうした要素がぼやけていく可能性もあります・
コーヒーというところに注目すると蔦屋書店に入っているのは、「Anjin」という高級コーヒー店、スターバックス、そしてファミリーマートでコーヒーを飲むことができます。実はここがポイントで、どんな所得層でも対応させたのが蔦屋書店なんだと思います。それぞれの場を作ったとでもいうのでしょうか。
パッケージというもので勝負する限り、ターゲットは広くとらなければならない。こう書くと営利な匂いがしていやがるかもしれませんが、別の見方もできます。
「本」や「音楽」、「映画」といった文化&娯楽は決してお金持ちだけのものではありません。どんな層の人も楽しむもので、それらによって知的好奇心を満たし、エンタテイメントとして人生を豊かにするものです。むしろ所得水準が低くてもこうしたものに触れている人生は豊かなのではないか。
「文化」は高いコーヒーを飲む人だけのものではない。コンビニコーヒーを飲みながら本を読んでもいいのではないか。
文化に対する一つの答えを「蔦屋書店」に感じることもできます。2つのコーヒーからそんなことを考えました。