世の中は「騎士団長殺し」で盛り上がっている村上春樹ですが、僕は少し前の作品を読了です。今回読んだのは「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 」になります。
中編であり、かなり現実味のある設定ですので、非常に読みやすかったです(といっても村上春樹作品全般的に表層的には読みやすいですが…)。
設定は、名古屋で育った主人公を含む仲良しグループ5人。しかし主人公が大学進学で東京に行くことになり、その後しばらくして残りのグループから絶縁を突きつけられてします。主人公はそのグループについて考えるときに、各人がそれぞれ個性があることに対しての劣等感をさいなまれる。本書では、多くの登場人物に「色」を名前に入れることによって、そのあたりを比喩化しています。
名古屋という色がないといわれる街を舞台にし、色のある4人と色のない主人公の物語。
主人公の回想や会話を通りして伝えたい事が直球で書かれているのも本書の特徴ではないでしょうか。
君が空っぽの容器だったとしてもそれでいいじゃない。自分自身が何であるかなんて、そんなことは本当には誰にもわかりはしない。それなら君はどこまでお美しいかたちの入れ物になればいいんだ。
もう後戻りはできないのだ。
多崎つくるには向かうべき場所はない。(中略)変えるべき場所もない。
すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ。
といった具合でしょうか。実際、最後の章では一人称を「おれ」にかえ、その回想の加速度感は増します。
本書は、多崎つくるという主人公の存在理由をさぐるという旅になります。「自分とは何者か」という存在理由と向き合うパターンは村上作品に度々登場する設定で、「ノルウェイの森」もそうでした。
自分の存在理由をさぐりその克服というものは、僕が度々考える「大人とはコンプレックスの克服」ということと共通します。
自分自身というものは、その過去や経験、生まれ持ったものからできたものである。それ以外でもそれ以上でもない。だからそれを悔んだり嫉妬したりしても仕方ない。受け入れるしかないものである。
赤塚不二夫風にいうと「それでいいのだ」と。
本書はこのあたりがわかりやすい物語と直球のメッセージによって書かれています。喪失と再生の物語。そしてもうひとつ「ノルウェイの森」と共通するのは恋愛小説であるということ。
存在理由の喪失と再生、そして恋愛 というのが本書のキーワードだったと思います。
やっぱり村上作品って楽しいなぁ。