Life is a showtime

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(読書)5A73 / 詠坂 雄二~幽霊文字についての小説

巷で話題になっていたので読んでみました。

関連性不明の不審死の共通項は身体に残された「暃」の字。
それは、存在しないにも拘わらず、
パソコン等では表示されるJISコード「5A73」の文字、幽霊文字だった。
刑事たちが、事件の手掛かりを探る中、新たな死者が……。
この文字は一体何なんだ?

設定は面白い。どう落ちをつけるのかが気になる展開。オチもまぁ個人的には許せるところだと思います。ただあとちょっと足らない感じだったと思います。

文字通り「幽霊文字」についてのさまざまな考察とオチ。

 

ひとつこれはと思ったのが、記憶の蓋を開けていくシーンが描かれています。大人たちには見えなくて、子どもには見えるというもの。要するに大人はそのシーンを黙殺するという形の考察になっており、例えば「傷痍軍人」というシーンがあります。

僕の頭には「暃」の文字を子供にだけ見える首吊り自殺と思ってしまい、思わずゾッとしてしまいました。

 

 

5A73

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ガウディとサグラダ・ファミリア展@名古屋市美術館

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気になっていた名古屋市美術館で開催中の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」に行ってきました。

この会館に珍しく2階から1階に降りるという方式での特別展でした。2階がガウディについての考察、そして1階がサクラダファミリアについての展示となっています。

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ガウディの「答えは自然界にある」という意図の伝わる展示でした。一方、サクラダファミリアの部分では実際に使われていた彫刻がありました。外尾悦郎が彫ったこの生誕のファザードの彫刻は、本当に惹きつけるもの、ゾクゾクしてしまいました。

あとは内部のまるで木々の中にいるかのような演出も見ごたえがありました(映像ですが)。

 

ちなみに僕自身、2010年(これは後で調べたのだが)に実際にサクラダファミリアを観にいってました。当時は4本の尖塔がありるのみで、内部も完成はしてませんでした。2020年にマリアの尖塔と2022年にはルカとマルコの塔が完成していました。NHKの空撮映像もありましたが、行った時とあまりにも変わっていてビックリでした。

2026年には一番高い尖塔のイエスの塔が完成するという(全体完成ももっと先のようですが)。

未完の建築物だとおもっていたサクラダファミリア。

いつの間にか完成してしまっているかもしれません。

gaudi2023-24.jp

(読書)壇/沢木耕太郎

久しぶりの沢木耕太郎作品。この人の文体が好きなんです。良い日本酒のように体にスッと入ってくる。

今回のテーマは『火宅の人』の作者である檀一雄の妻であるヨソ子の立場から書かれた作品。ルポなのだが当事者の目線から書かれているという2.5人称ともいえる不思議な設定でした。

 

壇一雄自身も『火宅の人』も良く知らず、壇ふみのチチという認識しかなく読み始めました。『火宅の人』が、作者と不倫相手とのコトの成り行きを描かれた私小説のようなものになります。

本作はそんな不倫された妻へのインタビューをもとに、妻側から描いたというもの。

それは昨年秋に観にいった、福田美蘭展覧会の絵のようなものだと感じました(名画の登場人物として描くものがありました)。

 

さて本編ですが、これが実に生な生しい。夫が不倫をし、家を出て行ったものの、関係は続くという、第三者の常識からは奇妙なものです。それでもそれを受け入れる彼女の心の模様が面白い。

人とは合理性だけでは動かないということを端的に表しています。

 

本書の最後に

あなたにとって私とは何だったのだったのか。私にとってあなたはすべてであったけれど。

だが、それも、答えを必要としない。

という言葉でしめくくられている。

不倫をしても、家を出て行っても惹きつける壇一雄の魅力とはなんだったのだろうか。

孤独にあこがれながらも人を求めてしまう。それは弱さであり、魅力だった。

母性本能をくすぐる、どこか人懐っこさがあるのか。

それとも『火宅の人』は壇の情熱の物語であると評しているように、その不器用な情熱に惹かれるのか。

 

そんな魅力のある人になりたいものである。

 

 

 

(映画)枯れ葉@伏見ミリオン座~北欧の高福祉を支える階級を描く

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★★★

 

フィンランドの名監督アキ・カウリスマキが引退宣言を撤回して撮った最新作。といいつつカウリスマキ作品は初めてでした。

 

北欧というと高い福祉水準というイメージですが、本作で描かれているのはそうした高福祉を支える階層のお話。監督の多くの作品のテーマで描かれているテーマということです。

今回は、スーパーの検品をする女性(クビになるのだが)とアル中&チェーンスモーカーの工場労働者(これまたクビになるのだが)のちょっとした恋愛物語。

なんとも中学生みたいな恋愛です。

 

ちなみにアル中とチェーンスモーカーも監督の作品にはいつも出てくるということ。下層の社会を描く映画は、世の東西を問わず多くあるけれども、そんな階層の無駄を省きシンプルに描くあたりが北欧映画らしいともいうのでしょうか。

 

食卓のラジオから流れるウクライナのニュース。それが現実と映画をつないでいます。

 

kareha-movie.com

 

(映画)窓ぎわのトットちゃん@109シネマズ名古屋~子どもと戦争とチンドン屋

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★★★☆

 

黒柳徹子の幼少期を描いたベストセラーのアニメ映画化。

本作のテーマはおそらく2つ。ひとつはトットちゃんのトモエ学園での学園生活。もうひとつは戦争。ただ戦争の部分は、本編の終盤にしか出てこず、主にトットちゃんの幼少期の学園生活について描かれています。

落ち着きがないトットちゃん。今思うとADHDなんでしょうね。通常の小学校を追い出されてしまい、新しく入ったのがトモエ学園でした。このトモエ学園での学友たちとのつながりが描かれます。

トットちゃんと小児麻痺の泰明君とのエピソードが主軸にあるが、それ以外の子どもたちにも上手くフォーカスが当たっています。

トモエ学園のフリースクール的な教育方針も上手く描かれており、戦前・戦中にこのような教育方針を貫いた小林先生の熱量が凄かったのだろうと想像できます。実際、戦争で焼け落ちるシーンで呟いた、「次はどういう学校を作ろうか」という言葉は、映画にある通り、戦争の炎よりも熱い志だったのでしょう。

 

戦争が忍び寄る様子も上手く描かれています。特に駅員さんの描写とか素晴らしいです。

 

映画の冒頭と最後にチンドン屋が出てくるのですが、それがいつの時代も人の心を惹きつけるチンドン。

トットちゃんはその後、テレビ黎明期から活躍します。それは泰明君から聞いたテレビジョンというものの話も影響したのでしょう。チンドン屋的な人の心を楽しませるものになろうということを象徴的に描いているのかなぁと考えてしまします。

 

 

tottochan-movie.jp

(読書)スキー場は夏に儲けろ!: 誰も気づいていない「逆転ヒット」の法則/和田 寛

元官僚・元コンサルという経歴から白馬に魅了されてスキー場で働き、社長になった著者。斜陽産業のスキーですが、グリーンシーズンで稼ぐということで、立て直しを図りました。

基本的に著者の経験談によるものですので、読みやすいです。

 

その方法をメモしておくと、

  • 「隠れた資産」見つける
    • ①モノ ②ノウハウ ③ヒト
  • 自社のビジネスを「どう定義づけるか」
    • 白馬はスキー場ではなく、レジャー産業として定義する
  • 「ここならでは」「国内初」「国内唯一」にこだわる。明確な独自性を出す。
  • 他の事例について「なぜうまくいっているのか」を分析し、良い要素は参考にする。ただし新たな付加価値を加えること。
  • 「隠れた資産」は自社の領域にこだわらず、関連領域まで目を向ける。そのためにチーム力が大切。
  • 無料サービスはNG。適正な価格で商売をする。
  • 小さな球を矢継ぎ早に打つ。そのためにもチーム力、社風、成功体験を大切に。

基本的に成功談なので攻めの話が多いです。守りの話ではコロナ禍で見直した予算管理についてぐらいでしょうか。

予算管理については、細かい単位での管理会計をするという大企業のマネジメントを取り入れていますが、地方や中小企業ではこうしたことをするだけでも大きく改善するというようなことが書かれていました。

 

 

 

(読書)ハレルヤ/重松清

子どもの塾の国語の課題文章で良く出てくる重松清

ちょうど図書館の返却棚にあったので読んでみました。初めての重松清作品でしたが、読みやすかったです。

 

音楽、それもキヨシローがテーマということで、面白く読まさせていただきました。学生時代にバンドを組んでいた46歳の中年の男女が、再会を果たすという話。

紆余曲折があって再びバンドを組んで、めでたしめでたしというようなお話かと思いきや、あらら……という展開に。まぁ中年にもなると色々ありますよね。

さらに終盤になんと作者目線が登場します。そしてここの部分で現実(東日本大震災)とつながります。これは連載の時間軸の問題もあるとおもうのですが、どうしても書かざる負えなかったのでしょう。

一応、ちゃんと結末を迎えるのですが、なんとも不思議な〆方をした小説でした。