久しぶりの沢木耕太郎作品。この人の文体が好きなんです。良い日本酒のように体にスッと入ってくる。
今回のテーマは『火宅の人』の作者である檀一雄の妻であるヨソ子の立場から書かれた作品。ルポなのだが当事者の目線から書かれているという2.5人称ともいえる不思議な設定でした。
壇一雄自身も『火宅の人』も良く知らず、壇ふみのチチという認識しかなく読み始めました。『火宅の人』が、作者と不倫相手とのコトの成り行きを描かれた私小説のようなものになります。
本作はそんな不倫された妻へのインタビューをもとに、妻側から描いたというもの。
それは昨年秋に観にいった、福田美蘭の展覧会の絵のようなものだと感じました(名画の登場人物として描くものがありました)。
さて本編ですが、これが実に生な生しい。夫が不倫をし、家を出て行ったものの、関係は続くという、第三者の常識からは奇妙なものです。それでもそれを受け入れる彼女の心の模様が面白い。
人とは合理性だけでは動かないということを端的に表しています。
本書の最後に
あなたにとって私とは何だったのだったのか。私にとってあなたはすべてであったけれど。
だが、それも、答えを必要としない。
という言葉でしめくくられている。
不倫をしても、家を出て行っても惹きつける壇一雄の魅力とはなんだったのだろうか。
孤独にあこがれながらも人を求めてしまう。それは弱さであり、魅力だった。
母性本能をくすぐる、どこか人懐っこさがあるのか。
それとも『火宅の人』は壇の情熱の物語であると評しているように、その不器用な情熱に惹かれるのか。
そんな魅力のある人になりたいものである。