「旅の窓」に続いて読んだ沢木耕太郎のエッセイが「旅立つ季節」。
コロナ禍があけつつある時期に書かれた国内エッセイ。この人にかかると旅の偶然が起こる。セレンディピティとでも言うのか。
エピソードの一つに、東北で現地合流をするはずだった娘ととある鈍行列車ですれ違うという話があった。この確率って!ということになる。
そういえば、僕自身にそのようなエピソードがあったかなぁと思い出すと、ベトナムの空港で仕事先の家具屋の社長と鉢合わせをしたことがあった。
別の時にもシンガポール航空の飛行機の機内でも知っている人に会ったことがあった。
オーストラリアのパースでも街中で以前知り合いの女性に声をかけられたことがあった。そういくつかあったのである。
世界が狭いのか、僕の接触面積が大きいのか。
そういえばセレンディピティについての話をこの前の映画の後調べました。
セレンディピティとは単に「しあわせな偶然」ではなく、「なにごとかに集中する意識があって、周囲のできごとを注意深く観察し、それを瞬間的に無心に反応する心が常にそなわっていることが必要」と解説されています。
要するに気を張って、網を張ってないと、目の前の偶然も通り過ぎていくと。
旅という非日常に置かれると否が応でもアンテナをはる。たまにそういうところに自分をおくことも大事だと思う。そうしないと網の張り方をわすれてしますから。