青少年向けコーナーで見つけて読んでみた本。
「じぶんのことや会社のことを陰で悪く言う人がいます。どうしたらよいでしょうか。」
「あたらしい仕事はどうやったら思いつきますか。」
「じぶんのやりたいことがわからないのですが、どうやって見つけたらよいですか。」
など、大人が聞いてもビッっとするような質問に建築家である著者が答えていく形式で本書は進みます。
このQ&Aの方式をとっているものの答えの部分はさらっとしたもので、基本的には著者の生き方と考え方を追っていくことになります。
そこには一本の川のような流れがある生き方でした。川なので一直線ではなく、どこか蛇行しており、それが人生そのもののであるとも言えます。
仕事を始めたころは源流のようなもので水量が少ない小川。周りに流されつつも次第に経験や人がついてきて、大きな流れになっていく。本書を読むと、著者はそんな年の取り方をしてきたのだと感じました。
著者は、駆け出しのころお金がなく、夫婦でボロ家を改装したところから話がはじまります。その後、相続した空きビルの相談を受け、シェアオフィスにしてみました。またカメラマンである妻の意見を聞き、使いやすいスタジオ貸しも始めます。
単なる建築家ではなく事業者になったことで、その立場がわかるようになります。
建築の仕事であるとき、費用が膨らむ依頼者に対して、初期費用を抑えるかわりに利益が出た場合の利益シェアの構造を提案したりしています。こうした方が、より真剣に建築後のことを考えるし、長きにわたってかかわっていくことができる。
建築家というよりも、ツールとしての建築であり、事業パートナーになる(なるべくしてなった)というようなことでしょうか。
あとがきにはこんなようなことが書いてありました。
ぼくがむかし思っていた「建築家になりたい」という夢はあくまで端っこの枝葉にすぎなかったのです。根っこは何なのか、ぼくにとっては「かっこいい場所をつくりたい」でした。それは「楽しいまちに住んでみたい」につながり、「これからのまちがもっと楽しくなってほしい」であり、木の根っこは「未来のまちを楽しくする子どもたちをつくりたい」ということに気づきました。最近ようやく。
本書を読んでいて思った、川の流れのような人生はこうした一本の大木だったんでしょうね。
そのうえで考えると、一見建築と関係のない映画上映をしたり、マルシェで中古絵本を売ったりするのもこうした流れに乗っ取ったものであることがわかります。
本書から気になった部分を抜き出しておきます。
設計の仕事に限らず、働くうえでいちばんたいせつなことは想像力。(中略)ぼくが直接的になにかを働きかけなくても、そこがよき場所であり続けてほしい、という祈りにも似た思いです。
じぶんの実感とスケール感に即した商い
人は見たことのない風景に対してはなかなか踏み出すことができません。まずは少し無理をしてでもその風景を実現させて、体験させてあげることが重要。
いまはない仕事というのはまったくあたらしい仕事ではなく、すでにある仕事の領域からずれていたり、重なったりしながら、固定観念にとらわれることなく時代の必要性にあたらしくフィットさせ、そしてそれを行ったり来たりする、そういう境界線の再定義にすぎないのです。
青少年向きと思って侮るなかれ、良い一冊でした。